温故知新 ~未来へのバトン~ 第1回: 商品開発の歴史<前編>

技術・サービス

今年6月に創業50年目を迎え、約9万人のオーナー様の賃貸経営と、約215万人の入居者様の暮らしを支える企業へと成長した大東建託※1。
これまでの軌跡を辿ると、時代とともに変化が求められる「賃貸住宅の在り方」に向き合い続けてきた商品開発の歴史が見えてきます。大東建託がこれまでどのようにして入居者様のニーズを捉え、オーナー様から支持される事業性の高い商品を創り出してきたのか。今回は、商品開発の最前線で戦い続ける社員にクローズアップし、市場や時代の変遷を振り返りながら、商品開発に対する思いを語ってもらいました。

※1 2023年3月末時点

右/松岡 透(まつおか とおる):商品開発部 次長、1991年4月入社。設計部や商品開発部で鉄骨造の大東建託専用事務所の設計や「ユニメゾン24(木造2×4工法)」をはじめとする数々の商品開発に携わり、2014年に商品開発部の次長となる。商品開発歴32年
左/須賀 七海(すが ななみ):商品開発部 企画デザイン課、2019年4月入社。新卒として入社後に商品開発部へ配属となる。商品の販売促進や、賃貸住宅コンペ、防災と暮らし研究室「ぼ・く・ラボ」の活動、技術分野のプロモーション業務などに従事。商品開発歴4年
第1回目は、商品開発部次長 松岡さんと後輩社員の須賀さんのインタビューです。
商品開発歴32年の“商品開発の生き字引”とも言える松岡さんの経験談から見えてきたのは、今日の大東建託を築き上げるまでに経験した、いくつものターニングポイントと、それを乗り越えようと挑戦し続ける姿でした。今回は、このインタビューを通し、これまでのターニングポイントを3つの転換期に整理し、時代を超えた不変の価値観を探っていきます。

■ 第1部:1974年から続く、挑戦と躍進の軌跡に迫る

<市場の転換>

1974年6月20日、大東建託の前身となる「大東産業」を創業。「土地の有効活用※2」を主な目的として、土地オーナー様に貸倉庫・貸工場といった事業用賃貸建物のご提案を開始します。しかし1991年、バブル景気の崩壊により土地価格が急落したことを機に、国内の貸倉庫・貸工場市場は大きく減退し、当社は創業以来初めての大きな試練に直面しました。また、1992年の生産緑地法改正により、宅地化農地に対しては、固定資産税などで宅地並み課税となり、相続税では納税猶予の特例が適用除外になったことなどを背景に、その税金対策として賃貸住宅の需要が高まっていたことから、大東建託はこの状況を打開するため、主力商品を事業用から居住用賃貸建物へとシフトしていきました。

※2「限りある大地の最有効利用を広範囲に創造し、実践して社会に貢献する」を経営理念として掲げている

貸倉庫・貸工場市場から、なぜ「賃貸住宅」だったんですか?

松岡ー  土地の有効活用策として大東建託が最初に参入した市場が、「貸倉庫・貸工場」による建物賃貸事業でした。この当時、借主となる個人事業主の増加に伴い、事業用の賃貸建物需要は高まっていました。土地相続や税金などの対策として、遊休地を有効活用する手段に苦慮していた郊外の土地オーナー様などにとって、立地を選ばずに建設ができる貸倉庫・貸工場の利点と、当社の建築から入居者探しまでの一貫した提案スキームは、求められていたニーズと合致していました。そこから、バブル崩壊を機に創業当時「事業(貸倉庫・貸工場)用9:居住用1」だった建物賃貸事業の比率は徐々に居住用へとシフトし、今現在の「居住用9:事業用1」へと事業構造が変化していったんです。「オーナー様への建物賃貸事業提案が主軸である」という点は今も昔も基本的には変わっていません。

須賀ー  建物賃貸事業の形態を時代のニーズに合わせて変えていった、というのが正解なんですね!

松岡ー  賃貸住宅の市場参入については、当社は後発です。「他社に追い付け、追い越せ」の精神で「他社にはないもの」を作ることで事業をこれまで拡大させてきました。この頃から既に35年一括借上システム(賃貸経営受託システム)の前身となる「大東共済会※3」が導入され、空き家期間のオーナー様の家賃収入を保証する仕組みによって安定した賃貸経営を実現し、オーナー様からの信頼を獲得していきました。

※3 保険業法の改正を機に「大東共済会」は廃止。

入社当時、支店は毎年10支店ずつ増えるほどの急成長期だったという

賃倉庫・貸工場などの事業用賃貸建物から始まった大東建託が、新たに賃貸住宅市場でも成長できたのはどうしてなんでしょうか?

「常に成長している」というイメージが入社時から強かった、という須賀さん

松岡ー  戸建住宅とは異なり、建物賃貸事業として高い事業性を維持できる建物を作ることが、賃貸住宅の商品開発に求められる視点です。大東建託では、設計図を何度も応用して使えるよう、賃貸経営に関わる設計~運営までの全てを規格化し、基幹商品として商品開発をしています。事業用建築でこれまで築き上げてきた、“敷地条件に合わせてサイズを選択できる仕組み”を賃貸住宅にも持ち込むことで、全国展開しやすく、現場効率もオーナー様の賃貸経営効率も高い、建物賃貸事業にすることができました。この、一気通貫で賃貸事業を支えられる商品力が、他社にはない大東建託の強みです。

賃貸倉庫には、建物の顔となるエントランスのデザインと機能性を追求した商品が開発されていたという

創業当時のパンフレットにはさまざまなファサードデザインの倉庫・工場が並ぶ。この頃は鉄骨造の事業用建物が主体だった。

創業期の商品開発の現場の様子はどうだったんでしょうか?賃貸住宅市場にシフトして、変化したことはありましたか?

松岡ー  バブル期は地価の高騰によって到来した不動産ブームから事業用賃貸建物の需要が高く、倉庫・工場・事務所などの商品をどんどん開発しながら、並行して居住用の商品も開発する為に設計の中途社員を募集している時代だった、と先輩社員から聞いています。
私が入社した1991年はちょうどバブル崩壊後で、既に当社は居住系へシフトしていたことから、即戦力として住宅設計経験者が多く入社してきていました。この時大東建託では、これまでの貸倉庫で培った鉄骨造の技術を活かし、耐震性を高め環境負荷を低減した新工法「鉄骨造システムブレース構造(以下、K型ブレース工法)※4」の開発が進められていました。入社当時の私はK型ブレースによる「ニューエルディム(片廊下タイプ)」の商品開発と、全国に増える支店強化に向けて、新鉄骨造による大東建託専用事務所の設計を担当していました。この時代の当社は、大東建託のブランドイメージを高めようと、デザイン面にも挑戦的な姿勢で向き合い始めていて、全国にシンボリックなデザインの支店を次々と建てていました。

エントランスから続く、中と外をつなぐ曲線の壁が印象的な大東建託金沢支店(大東建託専用事務所)

<建築工法の転換>

倉庫・工場などの事業用賃貸建物から始まった大東建託。今では2×4工法による木造の賃貸住宅が主力商品となっていますが、その商品開発は鉄骨造から始まりました。2×4工法は、大東建託の創業年である1974年に建築基準法の枠組壁工法の技術基準が告示され、一般工法としてオープン化されました。大東建託が2×4工法による賃貸住宅の販売を本格的に開始した1995年頃は、戸建住宅用としては取り入れられていましたが、建築工法としてはまだ比較的新しいものでした。

2×4工法を選んだ理由は何だったのでしょうか?

松岡ー  他のハウスメーカーが取り入れていた工業化(プレハブ)住宅とは異なる、「“大東建託らしい”住宅を作りたい」という思いが起点になっています。2×4工法は、先ほどのK型ブレース工法の開発と時期を少しずらして取り組みが始まりました。当時まだ賃貸住宅業界ではなじみの薄かった2×4工法を導入したのは、戸建住宅以外ではまだ珍しかった点と、職人技に頼らないでシステム的に建てられる木造工法だった点から、大東建託が全国展開させていく足掛かりになると考えたからでした。

カナダから職人が来日し、アドバイザーとして現場従事者へ指導。このことをきっかけに、当社の建築工法は大きく転換してゆく。

賃貸住宅市場へ参入するために商品に求められたのは、どんなデザインだったんですか?

松岡ー  戸建住宅と異なり、住戸ユニットを並べるだけの当時の賃貸住宅は、デザインに特徴がありませんでした。大東建託の原点である「“大東建託らしい”住宅を作る」という思いから、戸建住宅と変わらない質の高い住宅作りを目指し、各住戸の入り口を1階に設計することで「戸建て感覚」を取り入れ、邸宅風デザイン(1棟としてのデザイン)の賃貸住宅を開発し始めました。規制の厳しい「共同住宅」ではなく、共用部のない「長屋住宅」とすることで、当社は新たな賃貸住宅のスタイルを確立させていきました。この「長屋住宅」は、法的にも、コスト的・デザイン的にも、今までの「共同住宅」が主流となっていた賃貸住宅のイメージを大きく変える取り組みだったと思います。後発となる賃貸住宅市場では、「倉庫・工場の大東建託」のイメージが根強く残っていたことから、当社を印象づける住宅モデルとして、当時、戸建住宅を中心に定着し始めていた輸入住宅の持つ、外国様式の外観デザインを取り入れたことも、入居者様の支持を得た要因だと思います。

2×4工法による当社初の全国向け賃貸住宅「ニュークレストール24」(1995年)が誕生。輸入住宅がまだまだ珍しかった当時、戸建て感覚を取り入れたアーリーアメリカン風デザインが人気を博した。

ジョージア風「バーシア」(1998年)

スパニッシュ風「プラーノ」(1999年)

イタリアン・ヴィラ風「メリディオ」(2004年)

南仏プロバンス風「サンレミ」(2004年)

 これまでの賃貸住宅にはない外観デザインの商品を次々に開発。常に「新しいものを創り出す」という精神は、この頃から商品開発に携わる社員1人ひとりに受け継がれている。

<商品構造の転換>

1996年、支店網が全国47都道府県に整備され、大東建託は全国規模に成長。その後、2006年の保険業法改正・施行により、それまで事業基盤を担ってきた大東共済会(家賃保証)の運営が困難になったことから、一括借上方式によるオーナー様の負担・リスクを軽減する独自のシステム「賃貸経営受託システム※5」が誕生しました。これにより、商品開発の現場でも、事業提案から設計・施工、入居者斡旋、管理、運営、30年一括借上(当時)といった賃貸経営を支えるための、事業効率性の高い商品の開発が進められました。さらに2016年1月、お客様の声をカタチにした賃貸住宅で、住まいに新しい価値を提供する賃貸住宅ブランド「DK SELECT(ディーケーセレクト)※6」を誕生させました。これを機に、大東建託では、様々なライフスタイルに対応する賃貸住宅商品の開発が加速していきました。

時代の変化とともに商品も多様化し、今では「防災」「環境」「ライフスタイル」のコンセプトに基づいた商品が生まれてきていますよね。これまでのデザインの方向性や開発のプロセスから変化はあったのでしょうか?

松岡ー  社員自身が企画を立てて会社に提案し、作り手一人ひとりが思いを持って「ものづくり」に挑戦することができる、この商品化プロセスは創業当時から変わっていません。賃貸住宅は、住む人に合わせて設計する戸建住宅とは異なり、商品開発時点でお施主様も場所も決まっていません。そのため、大東建託の商品開発では、賃貸住宅需要を見極めながら、土地オーナー様ターゲット(価格帯)、入居者様ターゲット(居住ニーズ・世代・家族構成)、立地などを想定するところから開発が始まります。この頃になると、海外洋式の外観デザインから始まった大東建託も時代の流れに従ってデザインの幅を拡げ、商品ラインナップが充実してきたことで、より細かな商品戦略に沿った商品開発が行われるようになりました。

本社には、創業当時からの全ての商品パンフレットが保管されている

松岡さんが担当者時代に企画提案のために描いた商品デザイン画(一部)。当時は商品パース・図面は全て手作業で行われ、全国に図面を郵送で送るなど、全てアナログ作業だった。

初期の賃貸住宅のパンフレットには、デザイナー手書きの建物パースが載っている

2022年2月に企画型(高級路線)商品として販売開始された「シエルコート」

松岡ー  大東建託は賃貸住宅市場へ新規参入して以来、「他社にないもの」を目指し、これまでにない海外様式のデザインや住戸形式など、新たな価値創造に向けた挑戦を積み重ねてきました。そこから賃貸効率を高めるノウハウが蓄積され、今では売れる商品・建てやすい商品を開発する当社独自のセオリーが確立されてきています。これまでの商品開発では、販売効率が悪いと基幹商品にするのは難しく、バンド(価格帯)の高い高付加価値な賃貸住宅は開発しにくいのが課題になっていました。そこで、セオリーに従いながら商品開発の仕組みを変え、これまでのように販売効率の高い商品は基幹商品としてタイプ数やオプションを幅広く開発し、一方、時代に合わせた新たなコンセプトで作るニッチな商品の場合は、企画商品としてまずは単品で作り、販売状況により基幹商品にする、という2つの開発プロセスが生まれました。企画型にすることで、市場ニーズや社会課題の解決などの多様なニーズに応える賃貸住宅を商品化させる道筋ができあがりました
DK SELECTが誕生して以降は、ブランドコンセプトに基づいた商品開発方針が立てられるようになったことで開発効率が上がり、開発期間は最短で4か月程度に縮まりました。




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