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「大切なことを大切にする」ことを、大切にしたい

コラボレーションが拓く建築の未来

ストレスって、あたりまえの状態がありさえすれば、あまり感じないはず…。
あたりまえであることが大切なことで、それを大切に考えることを
建築の基本として大切にしているんです、と口を揃えられるお二人。
今回の「五感にひらかれた、癒しの住まい」というコンセプトも
どうやらそんな思想に郢ォがっているようです。

表面と内側が同じ材料を使う。
そうした正直さって人も建築も同じでストレスにならないんです。

原田真宏氏(以下 真宏)
いい意味で普通のものを一番つくりたい

大東建託さんからコラボレーションのお話をいただき、テーマが「ストレス」だったんですが、実はMOUNT FUJI ARCHITECTS STUDIO の考える建築に通ずるものがあると思ったんですね。ストレスって、あたりまえの状態がありさえすれば、あまり感じないはずだと思ってるんです。何かそこに無理があるものを持ち込むから、ストレスが起こる。僕は、いい意味で普通のものを一番つくりたいなと思っているところがあるんです。でもその普通っていうのは、いわゆる今ある商品住宅とはまったく違うはずなんです。なぜなら、具体的にいえば、肌触りとか懐かしい感じとか、そういうものの価値は、みんな感じてるけど定量化できないから世の中に現れにくく評価もされない。それゆえ商品住宅の中では重視されにくいんです。

だから、触れたいとか、包まれたいとか、そういう価値観をマスプロダクトである集合住宅の中でできたらいいなと思ったんですね。それが、今回の「五感にひらかれた、癒しの住まい」というコンセプトに郢ォがっています。たとえば風とか、天気とか、木の葉擦れの音とか、その辺をちゃんと受け入れて、むしろその魅力を拡張できるようなデザインができないかなということは思ってましたね。

原田麻魚氏(以下 麻魚)
人の気持ちって、意外と単純で普遍的

これいいなとか、こういうの気持ちいいなとか、こういう風なことがあったらいいよね、シアワセだよねとか…そういうことって、もちろん一人ひとり違うんですけど、でも本当に掘り下げていくと、意外と単純で、普遍的なものでもあると思うんですよ。

そこを意識することって日常的には少ないと思うんですけど、私たちはなるだけ日々意識するようにしています。そういうことがあったらお互いに伝えあったりしてますね。あたりまえのことを、たとえば日当たりがいいのはいいよねとか、美味しいのは美味しいよね、温かいのは温かいよねとか、あたりまえのことを言ってる。でもそういうことって、とても大切だと思うんですね。だから、そういうことをつねに意識していようと、意識しているとは思いますね。大切なことを大切にすることを大切にしている、みたいな(笑)。

真宏
「内側はどうなってるんだろう?」と気になるものが多い

あたりまえのことを実現しているから、ストレスにならない。使っている材料も、成り立ちがそのまま現れているものを使っています。そうした正直さって、ストレスにならないと思うんですよ。最近の高機能な建築って、専門家の僕たちですら「内側はどうなってるんだろう?」と、まったく分からないものが多い。内側がわからないものに囲まれて暮らしている潜在的なストレスというものがあると思うんだけど、今回の建築で使っているような表面と内側が一致している材料はストレスフリー。

「五感にひらかれた、癒しの住まい」ってなんだろう。
たとえば、日本人の潜在意識にある縁側暮らしを取り戻そうということ。

真宏
ソト暮らしとウチ暮らしを接続してしまおう

今回の「五感にひらかれた、癒しの住まい」で一番こだわったのも、最初の方でお話しした「質」へのこだわりに通じることですが、写真にうつる抽象的な世界だけでなく、そこに行って味わえるもの、体が喜ぶようなとか、リラックスするとか、そういう具体的なものなんです。

それを代表してくれてるのが、大きく張り出しているテラス。今回の集合住宅は、都心部だけでなく、郊外や田園の傍といった場所にも建っているようなイメージの商品になると思うので、いつもの田んぼがすごく美しい背景に見せられるかもしれない。素敵な郊外のソト暮らしみたいなものをウチ暮らしに接続してしまおうと。サッシは全部折りたためるようにして、全開することで、外で暮らしてるんだけど内に暮らしてる、あるいは内に暮らしてるのに外で暮らしている、というような状態ができたらと考えました。そんな生活だったら、いわば見えてる世界が全部自分の空間じゃないですか。賃貸という視点から考えると、誰だって借りられる床面積は限られてるわけだけど、内外の区別が曖昧になっちゃえば、外まで自分の領域になる。外に見えてる風景も自分の暮らしの背景になる、暮らしの背景になる。それが上手くいくような方法を考えたつもりなんです。

現実的にも、大きな開口部があっても、張り出したテラスがあれば通りから中を見られないし、サイドに大きな立ち上りがあれば、隣からの視線も遮れます。でも光はテラスでたっぷり受けてくれる。そういうソト暮らし、内外が一体になったような暮らしを実現するための具体的な方法を探していったのがこの建築ですね。

さらに、そういった視覚的なものだけでなく、外の空気を中にとり込められる。たとえば嗅覚ですね。風と一緒に季節の香りが入ってくる。リンゴ畑なんかが近くにあるといいよね。暮らしの中にリンゴの花の匂いとかがあるって、相当いいよね。あるいは、味覚。結果的にずいぶんと深いテラスをつくらせてもらったんですけど、当初から、そこに出るだけ、息を吸うだけのテラスではなくて、テーブルが出せるサイズじゃないとダメだねと話をしていたんですね。ここで食事をしたりと過ごせる場所にしたい。単に外に出るだけの場所ではなくて。

麻魚
テラスを居住空間として考える

洗濯物干じゃなくてね(笑)。セカンドリビングというかセカンドダイニングにして、そこで本当にブランチができる。実際に「できる」ということが重要だなあと思って、このサイズを提案しました。食のことは、かなり考えていますね。外の空気の中でご飯を食べるだけで、相当幸せじゃないですか。

真宏
触れたいという気持ちは一つのとっかかり

それと、さっきのストレスの時にも言いましたが、触覚。素材に、みんな肌触り感がある。触れてみたくなるような、触ってみたくなるような肌を持っている。それも、人がその場所と仲良くなる一つのとっかかりだと思いますね。あと、ムクの材料だと表面が剥がれていかないからメンテナンス的な有利さもあると思うんですよね。傷が嫌なものじゃなくなっていくというか。ペンキが剥がれたら嫌だけど、本物の材料は、表面に傷がつくことは一つの記憶の蓄積で、嫌なものじゃなくなっていく。そういう時間の蓄積をしていくためにも、お化粧していない材料がいいんだと思いますね。バルセロナで住んでたマンションが築200年くらい。でも新しい方なんですよ、その地域では。しかも古い方が家賃が高いんですよ。そういう世界に日本もなっていかないかなあ、という思いもありますよね。

麻魚
私たちがつくっているのは生きている世界の建築

彼が建築を話す時によく言うんですが、「建築」って名詞ですけど、じつは「建て」「築く」という動詞でもあって、建築はその2つの側面でできているんです。私たちがつくっているのは写真ではなく、生きている世界の建築なんですよね。それは、建てておしまいじゃなくて、できた瞬間はもちろんですが、つくっているときも建築だし、できてからそこに住んでいく過程も建築。生きているということを考えると、時間のない空間だけで考えてはダメなんです。

真宏
賃貸住宅こそ時間軸を意識する必要がある

時間の軸を考えなければいけないんです。建築に空間という横軸と時間という縦軸があるとすれば、横方向にスパッと切ったのが20 世紀のモダニズムで、僕たちはもっと縦方向というか、斜めに切るように心がけている。そういうふうにしていくと、たぶん、生きているというか、イキイキとした親しみの持てる世界ができるんじゃないかと思うんですよね。

あと現実的な問題として、とくに賃貸住宅って住み手が変わるごとに壁紙を張り替えたりするコストなどが、かなり発生するじゃないですか。その、毎回消えていってしまうコストを、この本物の材にかけられれば、実は結構いい建築に住めるんじゃないかと思うんです。何世帯も入れ替わっていくと累積ですごいお金がかかるけど、それを入れ替えなくていい材料にしてあげると、イニシャルにいい材料が使えるんじゃないかな。それも価値観の反転になる。

麻魚

ちょっと話がズレちゃいましたが(笑)、最後に聴覚ですね。これは、風が吹くと木々の葉擦れの音が聞こえたり、近所の犬の鳴き声が聞こえたり。そんな暮らしの音も楽しめるようにしたいという感じですね。

真宏
自然と近づけるために建築にできることとは?

簡単にいうと縁側暮らしを取り戻しているんですよ。縁側に出てご飯を食べる、縁側に出て本を読む。縁側に出て宿題をしたりとか。縁側の持ってるいろんなこと、自然の中でやるという暮らしを取り戻したい。1 階なんかとくにそうだけど、縁側で誰かとコミュニケーションをとるかもしれないんですよね。そこに誰かがきて、座って話をしていく。将棋を打っていくかもしれない。そんな場としてもテラスや、その前面の緑や木々が意味を持つと思うんですね。

また部屋の前のスペースを、アスファルトをやめて花ブロックにしたのは、そういったかつての日本の暮らしや、自然との調和という意味だけでなく、音環境とか熱環境とか、そういうことにも配慮した結果でもあるんですよ。アスファルトだと照り返しがすごく強くて、1 階はかなり影響を受けちゃうけど、植栽して土が露出していることで涼やかになる。音もね、人間の可聴域って17 ミリから17 メートルくらいの波長で、なかでも一番人間の耳に気持ち悪いのは17 ミリから50 ミリくらいの間なんですね。そこで、ちょうど芝生の長さが30 ミリくらい。つまり芝生があるだけでその辺りの音を全部吸ってくれるんですよ。そんな、音感とか、目以外の感覚もケアしたいという思いを込めています。

そうした自然と近づけるために建築にできることをいろいろカタチにしたわけですが、今回はそこに「Internet of Things( IoT)」も上手に取り入れようと試みています。自然とは正反対の存在のようですが、むしろ自然と近づけるデバイスとして使うというスタンスです。「Internet of Things」には期待していて、たとえばエコロジカルな暮らしをしたいという設定にしておくと、空調をなるべく使わなくてもいいように程良いタイミングで窓を開ける頃合いを教えてくれたり、「天気が良いのでテラスでの食事を楽しんではいかがですか」とか教えてくれたりね。そういう環境制御みたいなものを上手くシステムとして組み入れていけば、もっと外に近い暮らしができるんじゃないでしょうか。

それは集合住宅のプロトタイプだけでなく、
これからの住文化のプロトタイプでもあります。

真宏
「質」を持った集合住宅の先鞭になってほしい

今回の「五感にひらかれた、癒しの住まい」って、先ほど彼女も言いましたが、今まで商品住宅の中で流通してこなかった部分、つまりなかなか評価されてこなかかった情感的な部分を追求させてもらえた住宅なんですね。緑一つとっても、なかなか価値として説明しづらいんですよね。メンテナンスがかかるわけだし、枯れるかもしれないし、コストも高くなるし。今回はそれらの定量化しづらい部分を受け入れてもらったわけです。

その意味で今回の「プロトタイプ」は「これからのプロトタイプ」だと思っているんですね。今までは建築の情報って紙媒体だったから、写真にうつらないものは結果的に無視されてきたんですが、でもこれからはみんなの「いいね!」やツイッター、SNS といった個人発のメディアの方が情報源としての信頼が高まっていくでしょうし、そうなると、ここに住んでた人が、「風が通って気持ちよかったよ」って言ってくれたら、その感覚的な情報が流通するようになる。つまり、「質」が流通するようになるわけで、それはドラスティックに世の中が変わるんじゃないかなと思っているんです。だからこそ、視覚情報じゃないところのケアをしっかりとしている建築が価値を持ち始める。そういう集合住宅が世の中に出て行く、そのことの先鞭というか成功例になってほしいなと思って取り組んでいます。

麻魚

さらにそういう「プロトタイプ」に加えて、それと同じコンセプトを持ちながら全国に展開できることを念頭に置いた「汎用タイプ」の監修をさせていただきましたが、実は私たちとしては、この「汎用タイプ」にも大きな価値を感じています。

真宏
多くの人に、その価値を体験してもらいたい

「汎用タイプ」があるのはすごくいいなと思っているんです。既存の商品群があって、「プロトタイプ」があって…でも「プロトタイプ」って、現状からは飛びすぎてるんですね、たぶん。たとえば賃料設定とかメンテ方法とか、その間をつないでくれるものがあるから、全体が変わっていく可能性があるわけで、それが「汎用タイプ」になるんじゃないですかね。ステップがあるというか、一段がある。そこの一段がないと昇れないという一段なんです。「汎用タイプ」が広がり、その価値を体験してもらわないと、「プロトタイプ」の世界が普遍化していかない。

みんながいい暮らしができるって、
大事なことだと思う。

麻魚
「汎用タイプ」といっても、簡易版ではない

ただ勘違いしてほしくないのが、「汎用タイプ」は「プロトタイプ」を現実に合わせて工夫したものではないということですね。モノの形や色などを決めるのがデザインだと思われがちなんですけど、デザインというのはそうじゃないんです。経験とか時間をつくることなんです。その経験、時間については、「プロトタイプ」のときも「汎用タイプ」のときも、同じことを目的に、同じものを目指してやっている。着地点は違いますが、そこで生まれる「質」が同じベクトル上にあることを前提に取り組んでいるんです。

真宏
地域性や環境を超えたキーワードを見つける

「汎用タイプ」は汎用として展開するうえでの様々な条件があるのですが、一番難しいのは、立地を前提に考えられないということです。ただ、○○リゾート風となると、ある地域に入るとその景観を破壊することになりかねないのですが、建築を、○○スタイルといった様式性を可能な限り抑えて、それぞれの素材を素直な形にしておく限りにおいては、仲良くやってくれるんじゃないかなという期待はありますね。

たとえば縁側といったキーワードは、日本のどこの民家を見ても存在していたじゃないですか。その辺で接続は保っていけるんじゃないかと思いますね。その土地ならではの「いい環境要素」を味わいながら暮らすことができるんじゃないかな。そう考えて縁側型のテラスを提案させてもらいました。

麻魚
日本全国どこで暮らしていても、お日様は気持ちいい

敷地がどこというのはないんですけど、きっとこの賃貸住宅を気に入って住んでくれるだろうなという人は、頭に浮かびますよね。その人たちの生活、その人たちの人生といいますか、そこに応えるというのはブレてないと思っています。

お日様が気持ちいいとか、ちょうどいい空気は入れたいとか、そこは日本全国どこに行っても、お日様は気持ちいいですから。そこまで考えると、意外とみんな、あまり変わらないんじゃないかな。そういうところにアプローチしていけば、「プロトタイプ」でも「汎用タイプ」でも、どこに建っていても、内からも外からも気持ちがいい家になると思うんです。

真宏

敷地に入ってベストなデザインを見つけて、毎回つくっていけることができれば理想だし、僕たちはいつもはそういう仕事ばかりしています。だけどもマスプロダクトがそこに行くにはまだ数ステップ踏まなければならないなと思っていて、今回のプロジェクトによって、その数ステップが二段になり一段になり…という動きに郢ォがればいいですよね。

麻魚
みんながいい暮らしができることが大事

普通の若夫婦の所得でそういう生活ができたらいいですよね。みんながいい暮らしができるって、大事なことだと思います。「汎用タイプ」は、そこに寄与できるプロジェクトだなあと思ってます。どうしてもカッコいいこととか、スタイリッシュにとか、流されがちな世の中ですけど、その辺はぶれずに、大切なものは大切だと。

真宏
大きい波を意識しないといけない

MOUNT FUJI ARCHITECTS STUDIO がいちばん気をつけているのは、そこかもしれないですね。サーファーの言葉で、「小波乗り平」というのがあるんですよ(笑)。波待ちをしてる時は、小さな波に乗っちゃダメだと。大波を逃してしまうから。いずれちゃんと来る、大きい波の方を意識していないといけないという意味です。建築でいえば、建築って本来は何世紀も残るべきものだから、その瞬間、瞬間の世の中の流行り廃りみたいなものに合わせていくんじゃなくて、もっと大きな、本質的なことに応えて行かなければならない。わざと鈍くいるような。わざと小さな波に反応しないようにするというスタンス。建築にはいろんな様式があって、一時すごく流行って、その後恥ずかしい結果になったものとか、いっぱい見てきましたし(笑)、そういう反省もこめて。今、バッときているものも、ちょっと引いて見ているところもありますね。

あとMOUNT FUJI ARCHITECTS STUDIO として気になっているのは、木造等の木を使った建築ですね。さきほど、生きてる世界をデザインしているという話をしましたが、子どもが生まれてから、とくにそれをより強く思うようになりました。命が育っていくことを目の当たりにするわけじゃないですか。そういった生きてる世界の内側に建築をつくりたいなという思いはすごく強くなっていますね。木だけなんですよ、有機物の材料、生きものの材料って。ほかは鉄もコンクリートも無機物ですからね。自然の外側にある。木だけは有機物のネットワークの内側にあって、だからこそ木を使って自分の居場所をつくると、大きな、生きてる世界の内側に、人間の活動がもう一回入っていける気がしてるんです。それが幸せだなと思う気持ちが強くなっています。

建築、とくにヨーロッパ的な建築の理解って、建築対自然、敵対関係にあるじゃないですか。自然は怖いもので、人工のものはそれを押し返すものという理解。生きてる世界の外側にものをつくっていくというか。でも僕は、人と自然が敵対しない、むしろ仲良くリラックスした関係の暮らしって絶対にあったはずだなと思っているんです。それを木を主題にすることで、もう一回取り戻したい。現代建築なんだけど、生きてる世界の仲間として建築活動、社会活動をできたらいいなと思います。

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